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山形県西川町大井沢

2013/10/05取材

この地には、かつて金色山大日寺という大寺院があった。大日寺は、弘法大師が天長年間(824~833)に湯殿山を開いた際に創設したとされ、本道寺や大日坊、注連寺と同時期の開基と考えられている。

応永2年(1395)頃、中興の祖とされる道智上人が大日寺を再興し、置賜方面からの湯殿山参詣者のために、白鷹町の茎峰峠から、木川、古寺を越えて大井沢に至る新道を整備した。

江戸時代には、湯殿山別当四ヶ寺の1つとして、大いに繁栄した。貞享年中(1684頃)には、勅命により、国家鎮護玉体安穏の祈願寺になり、また、江戸の誕生院よりは280匁の大鐘が奉納される等、日本七大霊場の1つに数えられるまでになった。大井沢の里は、白衣の行者によって埋め尽くされ「湯殿まで笠の波打つ大井沢」と歌にまで詠まれた。

境内には、本堂、山門、惣天門、金蔵院、妙智院、蓮華院、福蔵、地蔵堂、山王堂、五智堂、大師堂、鐘 楼、庫裏、台所、門前家来6軒7坊あり、外に宿坊は26坊あったと伝えられる。

しかし、明治初年の神仏分離令により、明治7年()に寺号を返上し湯殿山神社となった。さらに明治36年(1904)の失火で、仁王門、山王堂、鐘楼を残して焼失し、大日寺の由緒ある建物の多くは失われた。