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山形県西川町岩根沢字上ノ平

2012/09/05取材

 

この岩根沢の地は、月山への登山道があり、出羽三山への主要な登山口となっている。嘉録2年(1226)、大和の国より、行脚に来ていた僧が岩根沢に投宿中発心し一字を建立したのが始まりとされる。役の行者の力も加わり、月山に道を切り開き、その後参詣の行者が増加し、元中4年(1387)大寺を建立し、日月寺として開基された

修験道では月山の登拝口として重視されるとともに、月山神社の別当寺として篤く信仰された。月山の祭神である月読神の本地仏として、阿弥陀如来への信仰も篤かった。

当初は真言宗であったが、江戸時代初期に、羽黒山寂光寺(現出羽神社)の天宥上人が、当時徳川家に保護されていた天台宗に注目して改宗したのに併せ、日月寺も同宗に改宗し、輪王寺の直末寺となった。 この改修の際には、湯殿山派諸寺に混乱があったが、天宥上人は日月寺の出身であったため、羽黒山と月山は良好な関係を保ち、寂光寺の僧が江戸に出かける際は、行者装束で寂光寺から月山へ登り、日月寺で旅装に改めてから江戸へと旅立ったという。

中世以来の神仏習合の考え方を踏襲しており、伽藍建造もまた神仏一体の教理に基づいて建築されている。寛文7年(1667)、延享元年(1744)と天保12年(1841)に再建された。

しかし明治初年の神仏分離令により、修験道は固く稀釈、神勤を命じられ、永年積み上げてきた修験道の歴史的文化が排除されることとなった。

日月寺は神勤を願い、明治3年(1870)に神祇官の許命があり、伽藍の内装を若干改め三山神社となった。そのため、今なお修験道伽藍の実態を遺しており、修験道文化を把握するうえで貴重な建造物である。平成12年(2000)、岩根沢三山神社の本殿(旧日月寺本堂)が、国の重要文化財に指定された。

岩根沢地区は、かつては月山への参詣者で賑わい、神社前には宿坊が立ち並び、現在も岩根沢三山神社の門前町の色彩を色濃く残している。またこの地では、出羽三山の行者が伝えたとされる秘伝の豆腐「六浄豆腐」が作られている。

六浄豆腐は、豆腐に塩をまぶしてを天日干しにして乾燥させた保存食品で、塩気の強い燻製のような食味で、薄く削って珍味や酒の肴として食したり、お湯で戻して吸い物や煮物、和え物などの具として用いたり、鰹節の代用として用いられたという。