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山形県寒河江市寒河江樋ノ口

2013/06/07取材

 

この二ノ堰水路は、南北朝期に、寒河江城主の八代大江時氏と九代元時父子の代に、寒河江城の改築工事を行い、その際に、三の丸城濠に大量の水が必要となり、寒河江川から新しく水路を掘り、石持に流し、石持から山岸を通じて蓮沼に落とした。これが現在の二ノ堰水路の始まりである。

その後、この水路は地域の水田730haを灌漑するためにも使われていたが、寒河江川からの水はそのままでは冷たく、これを太陽熱で温めるために、昭和27年から翌年にかけて、幅を広く浅くした温水路に改修された。

現在は、散策や憩いの場ともなる親水空間を設け親水公園として再整備されている。