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山形県天童市貫津

2017/08/22取材

 

別名:月光精舎、翠涛書院、五老学校

格知学舎(かくちがくしゃ)は、儒学者で浄土真宗の僧侶でもあった本沢竹雲によって、明治2年(1869)設立された漢学塾である。

本沢竹雲は、出羽上山藩の藩校明新舘や、京都、江戸などで学んだ儒学者だったが、慶応3年(1867)に帰郷して、明新館督学として儒学を教授していたが、戊辰戦争後、明新館は閉鎖された。竹雲の門人で、この地、東村山郡貫津(ぬくつ)村の名主であった結城六右衛門に招かれ、漆山役所の許しを得て開かれた。

格知学舎の教育方針は、本沢竹雲の「学問は心と身を善に移す外無之候」という言葉に示されるように、儒教的な道徳主義、徳育をその骨子とするもので、西洋文明は徹底的に排され、その教授内容は、漢学、儒学、仏教、神道を主としたものだった。学舎には聖堂が祀られ、農本主義、反立身出世主義、倹約、反文明開化を特色としている。通称「チョンマゲ学校」ともいったように、マゲを結っていることを門人たる資格条件とした。

竹雲は自らも格知寮に寝泊まりし、門人たちには、封建的な秩序をみとめ、現実の家産を維持していくための処世術、また、当時の明治政府が主導する西洋化政策に順応してはならないことを教えた。

格知学舎の教育は、竹雲以後も昭和21年(1946)まで続いた。竹雲以下3代の塾頭は、いずれも礼儀と信仰を重んじ、反欧化思想を体現するチョンマゲと和服姿を貫いた。