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山形県金山町大字金山

2015/09/15取材

 

この地の大堰は、いつ、誰が開削されたものかは判明していないが、丹与惣左衛門が金山城を築城し城下を開いた戦国時代末期に開削されたものと考えられる。

最初は城下集落の農業用として、次いで宿場集落の農業及び生活用水として、金山の中心部を流れる命の水として利用されてきた。江戸時代の古文書からは、水利権調整が維持されていたことが伺える。

この用水路は、昭和52年()から7年かけて改修されたが、当時としては珍しく底と側面が雑割石でできており、底面には穴あきブロックを使い、水を地下に浸透させて還元している。当時は「効率」が優先され、国からはコンクリート造りを求められたが、金山町の家並みに調和させるため苦労しながら認めてもらった。

この大堰には、昭和56年から錦鯉が放流され、春の風物詩となっている。平成4年()に「疎水百選」に選定されている。