山形県大石田町次年子

2014/03/19取材

 

天正12年(1584)6月、谷地城主白鳥十郎長久は、その力を恐れた山形城主最上義光により、偽計をもって山形城に呼び出され、謀殺された。谷地城も義光により攻められ、遺臣らは奮戦したものの破れ、散り散りになった。

白鳥十郎の重臣の平林玄馬信平はこの地に逃れ、主君の英霊を守護せんと発心し、了円と改名し、円重寺を開基したという。

その後、同じ白鳥十郎の家臣の青柳隼人が各地を転々とした後にこの地に到り、十郎の首級を埋葬したという。円重寺の裏山に、縦2間、横4間、高3尺の塚があり、白鳥十郎長久の首が埋葬されていると伝えられている。地元の方々はこの塚を「旦那首(だんなぐし)」とよんでいるという。

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