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山形県尾花沢市延沢…(龍護寺)

2017/08/21取材

 

龍護寺の現在の山門は、寛文7年(1667)、延沢城が破却されるときに、三の丸の大手門を移築したものである。

龍護寺は、延沢城主能登守満延が再建して、延沢氏の菩提寺としたもので、二大城主能登守満延、三代城主遠江守光昌、満延長女光心尼の墓塔がある。

門は、三間一戸の切妻屋根で、鉄板葺(元は茅葺)で、一部寺門風に改造されている。

扉の入八双金具や肘木などに当時の様子が見られ、また、妻側の形状が、四脚門の如く前後対象形でありながら、前面に本柱を建てた特異な形式を持つなど、中世末から近世初頭頃にかけての城門形式をよく伝えている。

延沢氏は元和8年(1622)、「最上騒動」により最上氏が改易になると、延沢光昌は肥後加藤家に預けられ、城は山形に移封した鳥居氏の支配下になったが、寛文7年(1667)に破却された。