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山形県尾花沢市延沢三日町

2017/08/21取材

 

天文16年(1547)、延沢氏十代目の延沢薩摩守満重が延沢城を築城した。この延沢城跡には天人清水と呼ばれる小さな清水があり、次のような伝説が伝えられる。

延沢満重は、豪勇の士として近隣に名を響かせていた。しかし独り身で跡継ぎはなく、あるとき妻を持つことにした。しかし立派な跡継ぎを望んでいた満重は、尋常の妻ではそれはかなわないだろうと思い、精進潔斎して観音菩薩に祈ると、果たしてお告げがあった。それによると、古城山の山中に、清水が涌いており、そこに天女が舞い降りるので、それを妻にしたら良いだろうということだった。

満重は山中に入り清水を探すと、妙なる音楽が天より聞こえ、この地にこんこんと泉が湧き出した。満重はこここそ観音様のお告げの地だと信じ、この地で天女を待ち受けた。待つこと数日、泉に数人の天女が舞い降り、羽衣を傍らの木の枝にかけ、水浴びを始めた。

満重は、天女の美しさに呆然としていたが我に返り、羽衣を一枚隠した。天女たちは満重に気づき、一人の天女を除き羽衣を身に着け飛び去ってしまった。取り残された天女は困惑していたが、満重は観音様のお告げの話をし、この天女を妻とした。

その後満重は、この天女との間に子を授かったが、満重の留守中に天女は満重が隠していた羽衣を見つけた。子を連れて天に戻ることはできず、天女は迷った末に子供のために手紙を残し天へ帰った。手紙には、子の成長を祈り、「この清水のあたりに城を築けば、子々孫々繁栄するだろう」とあり、「築城に必要な資材は天より送る」と記されていたという。

満重は天女の言葉に従い、この古城山に城を築いた。こうして築かれた延沢城は、敵が近付くと霧が立ち込め姿を隠したため、霧山城と呼ばれるようになったとされる。

この時うまれた子供は満延と名乗り、豪勇、剛力の士として有名をはせた。