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山形県鶴岡市鼠ヶ関丙

2011/03/30取材

 

鼠ヶ関は、現在の山形県と新潟県の県境にまたがって存在した古代関で、陸奥の勿来関、白河関と並んで、奥羽の三大関の一つである。

鼠ヶ関は、能因の歌枕に「ねずみの関」とあり、10世紀頃には広く知られていた。また義経記には、鎌倉の兄頼朝からの追っ手を逃れる義経、弁慶一行の関所通過が、劇的に描かれている。

また文治5年(1189)には、鎌倉の平泉征討軍の別動隊が日本海沿いに北上し、「吾妻鏡」には、「越後の国より出羽念種関に出て合戦を遂ぐべし」とある。

この地の古代鼠ヶ関は、平安時代中期から鎌倉初期までの10世紀から12世紀頃までで、調査の結果、施設としての関である「千鳥走行型柵列及び建物」だけではなく、「製鉄跡」「土器製塩址」「須恵器平窯跡」からなっており、「関戸集落」全体が、軍事警察的な防御を目的とした「関」として成立していた。

それ以降、近世に入ってからの鼠ヶ関は、この地の1kmほど北方にあった。