山形県飯豊町萩生

震災前取材

 

南北朝期の元中2年(1385)、伊達宗遠は、長井庄の地頭、長井広房を攻略し置賜地方を支配した。このときの戦功により、伊達氏の家臣の国分政信が荻生号を領し、この地に荻生城を築城した。萩生国分氏は、萩生城を代々居城とした国人領主であったが、天正19年(1591)、伊達政宗の岩出山への移封に従い、陸前柴田郡へと移り、城は廃城となった。

この城は、複郭式の平城で、本郭と出丸で構成され、現在の城址公園が本郭、恩徳寺の境内が出丸だったと考えられている。本郭は、長方形の郭で、かつては周囲を土塁と堀が囲んでいたとされ、現在は、西側に堀と土塁が残っており、西南角の土塁上には物見台があったと伝えられている。東、西、北の三方に虎口が設けられ、南が大手口であった。また、恩徳寺のある出丸は、寺の本堂裏から北側にかけて、堀と土塁がL字形に残っている。

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