山形県川西町上小松

震災前取材

 

この城は、伊達氏の重臣だった原田氏の居城で、伊達政宗が岩出山に移封されるまでの210余年の間、代々この城を居館とした。

原田城は、犬川右岸の藤ヶ森と呼ばれる丘陵上に築かれ、三方が急崖に囲まれた平山城である。西は本郭、東は二の郭で、深い空堀で区画されており、大手は南側だったとされる。現在は、置賜公園として整備されており、本郭部から南側には沼があるが、公園化によるものかも知れない。

この城は、伊達氏が置賜地方を制圧した後、十四代原田美濃介が築いたと云われている。十七代原田左馬介宗時の時に伊達氏が岩出山に移封となるまで、歴代の居城となった。原田宗時は若く才気に富み、政宗の幕閣として信頼が篤く、摺上原の戦い等、幾多の戦いで軍功を挙げた。

仙台移封後も重用され、十九代原田甲斐宗輔は、船岡城主4千300石を領していたが、寛文事件の中心人物として酒井雅楽頭忠清邸で刃傷に及び、伊達安芸宗重を殺害し、その場で伊達家家臣から討たれ、原田氏は断絶した。

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