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山形県川西町大塚

震災前取材

 

この門は、大塚城の大手門だったと伝えられる。大塚城は、この周辺にあった大塚氏の居館で、最上川の自然の要害を利用した城だったが、伊達氏の岩出山移封に従いこの地を去った。

その後、貞享3年(1686)、この地の牛谷氏が現在地に移築したと伝えられる。牛谷氏は土豪としてこの地の開拓を進め、事あるときは家の子郎党を引き連れて領主のもとにはせ参じたという。その功績により、侍格の郷土馬上の待遇が与えられていた。

この門は、江戸時代の長屋門造りで、北側は三間で、二つの武者窓があり、中は土間と板敷きになっている。南側は四間で、一つの出格子があり、土間になっている。この中で、地域の人々が武芸の練習をしていたという話が今も伝えられている。