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山形県高畠町二井宿

震災前取材

 

高畠の地は古くから凝灰岩が産し、大谷石、秋保石などと並び高畠石と呼ばれ石材として使われていた。

7世紀末頃から、高畠町の各地に残る横穴式石室で既に使われており、江戸時代には家の土台や墓石などとしても広く使われるようになった。本格的な採石が始められたのは大正時代になってからで、主に土木、建築用資材として使用され、最盛期は昭和29年 (1954)頃とされている。

高畠石は、石切場の名前を付けて細分化されて呼ばれ、瓜割石、羽山石、高安石、味噌根石、大笹生石、西沢石、海上石、細越石、沢福楽石などがあったが、現在は、唯一この爪割が採石を行っている。

この「爪割」は、この地の清水で爪を冷やしたところ、爪が見事に割れたという伝承からこの地の地名となったと伝えられる。現在この石切り場は、「爪割石庭公園」として整備され公開されている。