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山形県米沢市御廟一丁目

震災前取材

 

初代上杉謙信から十二代斉定までの霊廟と十四代茂憲の記念碑がある。

柵の外側には空堀があり、江戸時代には枡形門があったというが、明治9年(1876)に謙信の遺骸がこの地に移されたとき、現在の形に改変された。廟屋は、全体として上杉家古来の質実剛健の家風を現し何の装飾もない。旧藩時代は御廟将を置き、御廟守、御廟番によって守られてきた。

上杉家初代の謙信の遺骸は、武人として甲冑を着け、漆が満たされた甕棺に納められ、春日山城中不識庵に埋葬された。二代景勝が、会津若松に、さらに米沢に転封されるに伴い、謙信の遺骸も会津から米沢に移され、米沢城本丸の南東隅に祠を建てて祀られた。明治5年(1872)に、上杉謙信と鷹山を合祀する上杉神社が創建されてから、 この御廟所に遷された。

二代景勝は、火葬に附し灰燼、冠服を葬り廟を建て、位牌を納めて廟所とした。遺骨は、紀州高野山清浄心院に納めてある。