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山形県白鷹町荒砥甲

震災前取材

 

慶長年間(1596~1615)、この地を領していた直江兼続は、荒砥城を補修した際に、南郭に鎮守としてあったこの稲荷神社の社殿を修築し崇敬した。

慶長5年(1600)、関が原の戦いに際して、兼続は最上義光との決戦に向かうにあたり、この稲荷神社で戦勝祈願をしたといわれる。進軍の途中、萩野、中山を進んでいたとき道に迷うと、稲荷神社の白狐が道案内をしてくれ、畑谷城を落とすことができたと云う。

その後、その道は狐越街道と呼ばれるようになったと伝える。