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山形県白鷹町菖蒲

震災前取材

 

黒滝神社は、最上川の難所である黒滝の交通守護のため建立されたものと伝えられ、また、マムシの災いを避けることが出来るとも伝えられる。

この辺りは、山並みがせまり最上川の川幅は急激に狭くなり急流となり、また落差が3mほどの滝となり、船の行き来を阻んでいた。江戸時代、京都の豪商で、米沢藩の御用商人だった西村久左衛門は、幕府から普請の許可を得て、元禄6年(1693)6月、黒滝開削に着工した。翌年9月には工事は完了し、1万3700俵の天領屋代郷の蔵米を船で下したと云う。

久左衛門はこれらの事業に1万7000両を投じ、高い櫓から、重く長い鉄錐を岩盤に落として砕いたり、火をたいて岩を熱し、それに水をかけて急激な温度差で崩すなど、当時の最新技術を駆使し開削した。

この開削工事の際に、黒滝の岩を取り除くと、滝の主の大蛇が川をせき止めるように、長々と横たわっていたという。僧侶らが祈祷すると、稲妻とともに2本の剣が落ちてきて、大蛇は頭と胴と尾の3つに切られた。大蛇の頭と尾は両岸にある2つの黒滝神社にそれぞれ祭られ、胴は下流に流され、大石田の川沿いにある黒滝に流れ着いたと云う。

白鷹の黒滝近くには大きな米倉庫や、役人が常駐する舟陣屋などが置かれ、物資の集散でにぎわったと伝えられる。