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山形県長井市館町北…白山神社境内
震災前取材
別名:荒館
現在の長遠寺と白山神社境内の地は、周囲が土塁と三間堀に囲まれた約1町2反歩の長方形の環濠武家屋敷跡である。現在、土塁の一部と、屋敷の中央にあった大ケヤキが残っている。
鎌倉初期、長井泰茂に従って、千葉の大須賀郷から長井の庄に入った大須賀氏が、長光のときに小出村地頭としてこの地に館を構えたのが始まりである。大須賀氏の家臣は、館の東と北に家をつくり集落となったので、「荒館(新館)」の地名がついた。現在残る大ケヤキは、その当時植えられたものである。
また、現在の白山神社は、もとは大須賀氏の屋敷鎮守で、長遠寺は菩提寺である。その後、大須賀長任は、興国4年(1343)に出家して義昌(ぎしょう)と名乗り、荒廃した長遠寺を再建して祖先の霊を弔ったという。