山形県中山町長崎

震災前取材

 

文明元年(1469)、長崎城主の中山式部少輔宗朝の時代、この地は大旱魃、大飢饉、さらに大病が流行しており、人々は大いに苦しんでいた。宗朝はこれを憂い、文明4年(1472)に京都祇園牛頭天王を館の鬼門に勧請し小社を建立した。すると天災はことごとく除かれたため、改めて社宮を造営したと伝えられる。

天正年間(1573~92)社宮は兵火にかかり焼失し仮宮祀っていたが、元禄年間(1688~1704)この地の代官の猪早内蔵太が再興し、長崎村惣鎮守とした。

現在の社宮は、本殿が嘉永3年(1850)、本殿が安政3年(1856)に造営されたものである。

 

・炭焼き藤太の腰掛石

昔、藤太が宝沢から西根まで炭を運ぶ途中休んだと伝えられる。

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