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山形県上山市鶴脛町一丁目

震災前取材

 

上山市役所の北北東、上山城の北側に武家屋敷通りがあり、現在4軒の武家屋敷の、旧曽我部家、山田家、三輪家、森本家が残っている。そのうち3軒が市の文化財に指定されています。

曽我部家は、宝永5年(1708)、藤井松平氏の家臣となり、宗旨奉行、馬廻役、後に大目付となった。

山田家は、常陸の出自で、元禄10年(1697)頃には藤井松平氏の家臣だった。馬廻役や寺社、勘定奉行、大目付などを勤め、幕末には、藩校明新館の都講にも昇進している。

三輪家は豊前の出自で、寛政8年(1796)、藤井松平氏の家臣となった。江戸藩邸上屋敷で勤め、後に側用人参政となり、藩政に直接参画した。幕末期には藩校明新館の惣領席になった。

森本家は、藤井松平氏が丹波篠山城主であったときに召しだされ家臣となった。代々藩主随伴役で、長柄奉行、御側目付、また藩主の訓育係などを勤めた。