山形県山形市松原

震災前取材

 

江戸期の街道整備の以前はこの地を旧道が通っており、塞の神社があるこの地は、上山へ通じる山坂道の出入り口であった。

最上氏は、伊達稙宗の時代には、伊達の支配下となっていたが、最上義守の時代、伊達家の内紛「天文の乱」の混乱に乗じ長井を攻め、伊達からの独立を果たした。しかし最上義光が家督相続をした時期には、長く伊達の属国であったため、最上宗家の威信は地に堕ち、一族の結束はすでに崩壊していた。

天文の乱後、米沢に本拠を置いていた伊達輝宗は、失地を回復すべく、上山城主の上山満兼と結んだ。天正6年(1578)、上山城主の上山満兼は、伊達輝宗と連合して最上領に侵攻した。義光は粘り強く防衛につとめ、この地で、敵陣に鉄砲隊で集団射撃を加え連合軍に手痛い打撃を与えた。

この後も、豊臣秀吉の総無事令が出るまで伊達氏と最上氏は上山を挟んで対峙した。また最上義光は上山満兼に対し強い警戒心を抱き、天正8年(1580)、満兼の重臣の里見民部を裏切らせ、満兼を討ち取り上山城を占拠した。

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