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山形県山形市宮町三丁目…両所宮境内

震災前取材

 

山形市宮町の両所宮の金井水の水は、流れ出て傍らに池を形成している。この池の中島に弁財天が祀られており弁天池と呼ばれている。

後三年の役の際に、源義家の家臣で、剛勇の士として名高い鎌倉権五郎景政が、右目に敵の矢を受けて、矢を抜かずにこの池まで辿りつき、この地で矢を抜き取り目を洗ったと伝える。これより、この池に住まう魚もみな片目になったと云う。

鎌倉権五郎景政の流れは桓武平氏と云われ、相模国鎌倉を領して鎌倉氏を称した。現在の東松島市周辺に領地を得て、その孫以降は長江氏を称した。戦国期の長江月鑑斉は智将として有名だが、伊達政宗の勢力拡大の中で伊達氏に従い、大崎合戦を戦ったが破れ大崎氏に囚われた。大崎氏滅亡後にその去就を疑われ政宗の命により暗殺され、長江氏は滅亡した。

歌舞伎十八番『暫(しばらく)』では、鎌倉権五郎が主役として登場し、今日に至るまで人気演目の一つとして親しまれている。そのためか、この伝説と同類の話は東北各所に散在している。