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山形県山形市宮町三丁目…両所宮境内

震災前取材

 

平安時代の末期、今の山形市宝沢に炭焼藤太という長者がおり、吉次という名の子がいた。当時、宝沢では砂金が採れたと云い、吉次はそれを商い、金売吉次と呼ばれていた。

この吉次が、この泉で金を洗ったところから、この泉は金井水と呼ばれるようになったと伝えられる。

また、炭焼藤太が、宝沢村と寒河江方面を往来するとき、いつもこの地を通り、この金井水の傍らの石に腰を下ろし休んだと伝えられる。

この金井水よりこの辺りは金井荘と呼ばれた。