山形県山形市宮町三丁目

震災前取材

 

両所宮は、鳥海山の大物忌神と月山の月山神の両神を祀ったもので、古くから民衆の崇敬の的となり、平安時代の初めには朝廷よりそれぞれ位が授けられた。

前九年の役に際し、鎮守府将軍源頼義と義家父子は、安倍貞任討伐にあたって飽海郡吹浦の鳥海山両所神社で鳥海、月山の両神に戦勝を祈願した。これに勝利した頼義、義家父子は、康平6年(1063)、その報賽として最上郷山形に社殿を造営して分霊を勧請し、国家泰平、武門吉事の神とし創建勧請したのが始まりと伝えられる。

その後、歴代領主から崇敬され、戦国時代末期には最上義光が社領1千150石を与え、文禄4年(1595)には社殿を再建した。最上家が改易された後は、徳川幕府より639石の御朱印を受け、歴代山形藩主の鳥居氏、水野氏の崇敬を受けた。別当寺は成就院で、別に天台三ヶ寺として、如法堂、護摩堂、内御堂が、両所宮に奉仕していた。

現在ある随身門(桜門)は、天明3年(1783)に建立された三間一戸の楼門形式で、1階の天井には、藤原祐川春豊が描いた鳳凰や麒麟、竜などがあり、当事の技術の粋が集められている。

両所宮には「穀様(こくだめし)」という神事が伝えられ、旧暦7月1日早朝に、飯、胡瓜、茄子、粟穂、稲穂を紙に包んで土中に埋め、翌年の旧暦6月末日に掘り出して豊凶を占う。

その他、境内には、金売吉次の伝説を持つ金井水や、鎌倉権五郎の伝説を持つ弁天池がある。

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