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山形県山形市緑町一丁目

震災前取材

 

慶長年間(1596~1614)、最上十一代、山形城主の最上義光が、専弥寺に寄進した「お花山」 に、三島稲荷明神の小祠があり、里人達から五穀豊穣の氏神として崇敬されていた。

明治4年(1871)、神仏分離令により、社名を三島稲荷神社と改めこの地に遷座された。明治9年(1876)、初代山形県令として三島通庸が就任すると、この町内の官邸に住居を構えたとき、きしくも自分と同姓の神社であることを喜び、これを縁として、静岡の三島大社より分霊し、明治12年(1879)三島神社として社殿を新築し、近代国家と天下泰平の祈願所とした。