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山形県山形市薬師町

震災前取材

 

天平13年(741)、聖武天皇の勅願により、諸国に国分寺、国分尼寺が建立され、仏教を中心とした国造りが進められた。出羽においても国分寺が造立されたが、この地の国分寺薬師堂の地がそれにあたるかどうかは定かではない。

しかし、この地に伝えられる話では、出羽国分寺は天平の頃、聖武天皇の命を受けた行基によって開山された。後に鎮守府将軍大野東人によって伽藍が造営された。その後、貞観年間(859~77)慈覚大師が中興して天台宗となり、康平6年(1063)、前九年の役後、源頼義が堂塔を再建、また鎮守府将軍藤原秀衡の庇護を受けた。

中世に入り、北条政子の命により寒河江の大江広元が堂塔を補修し、さらに斯波兼頼が出羽国按察使として山形に入部すると、延文5年(1360)金堂塔を造営した。

戦国時代には山形城主最上義光が天正2年(1574)寺領を寄進し堂宇を再建し、山形城の鬼門擁護の霊場に定めた云う。その後も徳川幕府から庇護を受け栄えた。

現在の金堂は、明治44年(1911)5月の、市北部の大火で類焼し、宝幢寺本堂を移築したもので、県議会の議事堂ができる前、この金堂で第一回目の県議会が開かれたと云う。

この地では、毎年5月に薬師まつりが開かれ、全国三大植木市に数えられる植木市が開かれる。この植木市は、最上義光の時代に大火があり、焼失した山形城下の緑を取り戻すために農民に呼びかけたのが始まりとされる。