山形県三川町押切新田字三本木

(震災前取材)

 

「アトク先生の館」は、昭和3年(1928)に建てられた阿部徳三郎氏の邸宅で、近代日本建築の粋を集めたもので、町が取得し、現在は三川町の文化交流館として使われている。
第81回米アカデミー賞で外国語映画賞を受賞し話題になった、映画「おくりびと」のロケ地ともなった。映画のところどころに出てくる日本家屋での納棺の様子は、この「アトク先生の館」で撮影されたものが多く使われている。

阿部徳三郎氏は、明治40年(1907)の生まれで、鶴岡中学、成城高校、京都大学、東京大学大学院、ミュンヘン大学などで就学し、戦時中は参謀本部に勤務していた。終戦後は、山形大学や鶴岡高専で教鞭をとり、「アトク先生」として慕われていたが、平成6年(1994)に死去した。

この三川町文化交流館の愛称の「アトク先生の館」は公募によるもので、生前の阿部徳三郎氏が、親しみを込めて「アトク先生」と呼ばれていたことから決まったと云い、その人柄が偲ばれる。阿部家は、江戸初期の元和年間(1615~24)、現在の櫛引町にあたる宝谷村から入植した阿部彦右衛門を祖先と伝え、代々この地の地主だった。阿部徳三郎氏はその11代目にあたる。

庭園もすばらしく、個人所有としては、庄内地方有数のものとして知られている。造園は、江戸時代元禄期(1688~1704)の頃で、千両の巨額を投じて築造されたと伝える、鳥海山と月山を借景とする池泉回遊式庭園である。この池は、初夏になると白い睡蓮に覆われ、池の周りには五葉松、欅、桜といった大木と、見事に刈り込まれた躑躅が配され、季節の移ろいを楽しむことができる。
また、庭の組石の中にある青い坪石は、北前船の帰り荷として京都から運ばれたもので、かつては、朝夕、塩水で磨きあげられ、鮮やかに光沢を湛えていた。この贅の限りを尽くした庭園に対し、当時の庄内藩は快く思わず、藩主の命により500坪あった庭園は300坪に減らされた。そのとき、庭の名石、珍石は築山の下に埋められたと云う。

建物は、昭和3年(1928)に完成した近代和風建築で、設計は、皇室関係の建築を多く手がけた宮島佐一郎氏によるもの。宮島氏は、自身が関東大震災に被災した経験から、基礎に松杭を打ち、柱や梁には松山産の檜を使い、総檜造り銅板葺きの平屋建てにした。居室の一部には秋田杉や薩摩杉が使われているほか、障子板は楓玉目、筍目など、木目を活かした装飾が施されている。また、北側の廊下は、檜の一枚板、東側の廊下は、末広張りといわれる扇形に板を配置している。