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山形県河北町溝延

震災前取材

 

溝延の八幡神社の鳥居の脇に、高木もよの像がある。

高木もよは、慶応3年(1867)9月、この地に生まれ、明治18年(1885)、19歳で村に産院を開き、以来昭和20年(1945)に廃業するまで、実に61年間の長きに亘り、この地域の産児を取り上げた。その数は1万有余人に及び、現在のこの地域の方々の大半は、もよ氏の手により産声を挙げたと言える。

もよ氏は、困っている人のことを聞きつけると、じっとしていられない心優しくたくましい女性だったようで、寒河江川や最上川を渡った地まで赤子を取り上げに走り、また、貧しい生活の中、当時流行したツツガムシ病の治療にも貢献した。

晩年には、取り上げた子供たちは次々に戦地に赴き、その子供達を見送るもよさんの、日の丸と数珠を手にした姿がよく見られたという。

その慈愛に満ちたもよ氏の姿は、多くの村人の心に残り、昭和27年(1952)、この地の方々がその顕彰のために像を建立し、今も大切に保存されている。