山形県寒河江市柴橋

震災前取材

 

この地は古くから「長者屋敷あと」と呼ばれており、平安時代に、出羽国郡司の小野良実が構えた郡衙跡とも伝えられ、その娘の小野小町が、都から訪ねてきたという伝説も残っている。屋敷跡には、金の鶏、アラ鍬百丁、漆百樽が埋まっていたとも伝えられる。

調査では、布目瓦が出土しており、平安時代の集落あとに、中世の武士の居館が築かれていたことがわかった。 京都から下った蜷川新左衛門親俊がここに住んだとされ、北側には、土塁と空堀跡がわずかに残っている。

中世から近世にかけては、この地の牛前船場と、古六十里街道を押さえる役目だったと思われる。