山形県東根市四ツ家一丁目

震災前取材

 

慶長7年(1602)、常陸から秋田に国替えになった佐竹義宣は、窪田の神明山に城を築いた。しばらくして義宣の前に一匹の狐が現れ、「この神明山に住んでいたのだが、城が造られ住む場所をなくし困っている。住む場所を与えてほしい」と願い出た。不憫に思った義宣は、狐に城の茶園の近くの場所を与え、「茶園守の與次郎」と呼ぶことにした。與次郎狐は、その礼に、義宣のため飛脚として働き、秋田~江戸をわずか六日で往復し大いに働いた。

しかし、與次郎狐の活躍により仕事をなくした飛脚たちの恨みをかい、羽州街道の東根市の六田村で罠にかかり殺されてしまった。與次郎狐の恋人のお花はこれをたいそう悲しみ、この地を訪れ手厚く葬ったという。その後、秋田藩が参勤交代でこの地を通る折には、たびたび参拝したとも伝えられている。

與次郎の姓は「那珂」となっており、これは佐竹家中のれっきとした士分の者とも思われる。この時期佐竹氏は、関ヶ原の合戦における西軍寄りの挙動を咎められ、五十四万石から大減封され、石高不明のまま秋田へ移された。家中はこの責任を巡って割れていた時期でもあり、與次郎が殺された理由はこれらと関わりがあるのかもしれない。

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