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山形県東根市本丸東

震災前取材

 

東根城三の郭跡に横尾家の屋敷跡があり、その酒蔵の一部が、現在「東の杜資料館」となっている。

横尾家は、最上義光の重臣であった長谷堂城主志村伊豆守光安の子孫と伝えられる。光安は、出羽合戦の折に長谷堂城の守将として、伏兵などを駆使して、上杉の名将直江兼続率いる上杉勢に抵抗し、長谷堂城を守りきった勇将である。戦後、酒田の亀ヶ崎城に3万石を与えられたが、光安の死後は志村光清が継いだが、最上家の内紛に巻き込まれ、鶴ヶ岡城で一栗高治に殺害された。

残された一族は、元和8年(1922)最上藩が改易になると、新たな山形藩に仕官した者もいたが、横尾家は帰農し、現在地に移り住んだ。この地にあっては、代々郡中総代名主を勤め、明治21年(1888)に酒造業を興し、現在に到っている。