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山形県戸沢村古口

震災前取材

 

最上峡は、最上川の急流が堆積岩を浸食して形成した峡谷であり、出羽山地を東西に分断している。河床は20~30mであるが、それに山峡の標高60m~80mが加わるため、見かけよりもかなり深い谷間となっている。最上川は古くから日本三大急流の一つにも数えられ、松尾芭蕉も『奥の細道』において、最上川にて著名な一句、

「五月雨を 集めて早し 最上川 」

と詠んでいる。

山形県は、置賜、村山、最上、庄内と山地に隔絶されているが、最上川はこれらの地すべてを流れており、古くから交通手段として欠かせないものだった。古くは鼠ヶ関に上陸した源義経主従がこの峡谷を舟で上ったという多くの伝説を残し、戦国期には最上勢や上杉勢がこの峡谷を往来し、江戸時代元禄期には、羽黒山に向かう松尾芭蕉が、本合海から清川まで、この峡谷を舟で下った。

現在は、物資の輸送手段は陸上交通に取って代わられたが、新緑の時期、紅葉の時期と、観光客を乗せた舟がこの峡谷を行き来する。