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山形県大蔵村字合海

震災前取材

 

清水は古くから最上川舟運の中継地として種々の記録に残る。15世紀頃は、清水氏がこの地を支配しており、最上義光の時代まで大いに賑わった。最上川を上下する舟は、一旦この地で役人の改めを受け、一定の税を徴収された。

しかし慶長19年(1614)、清水氏が滅亡すると、中継基地は大石田に移り、一時衰退した。しかし最上藩が改易され、この地は新庄藩が領し、新庄藩の表玄関として再び活気を呈した。

当時の清水は、参勤交代の街道筋にあたり、また水陸両路の要地であり宿場町としても栄えた。参勤交代時には、庄内、松嶺、本庄等の諸大名が本陣を構え往来した。

戊辰戦争の庄内攻めの際には、この本陣には官軍の黒田清隆や西郷隆盛等が宿泊したと云われる。