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山形県大蔵村清水…光明寺

震災前取材

 

最上義光の内室の清水御前の墓は、この大蔵村の光明寺にある。

清水御前は、清水城六代城主の清水孫三郎義氏の一人娘で、幼少のときに両親を相次いでなくし、重臣たちにより養育された。長ずるにつけ、晃麗才媛となり、19歳の頃に、宗家の最上義光に見初められ山形に輿入れした。

義光が没するまで清水御前と呼ばれ敬愛され、秀次事件や出羽合戦などの最上家の危機の際にも良く義光を支えた。

慶長19年(1614)義光が亡くなると、最上家は家督をめぐり波風が絶えず、そのため御前は故郷の清水の地に戻り草庵を建て、尼となり義光の菩提を弔った。

その後、最上家は改易となったが、御前は徳川家より知行5千刈を賜り、寛永15年(1638)8月、62歳の生涯を終えた。

その後、菩提寺の光明寺は寺領54石の朱印状を賜ったが、大正初期に火災により広壮な堂宇と調度品を失い、現在は清水御前遺愛の伽羅木と五條袈裟と銅鏡のみが光明寺に保存されている。