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山形県大石田町横山

震災前取材

 

向川寺は、永和3年(1377)大徹禅師によって開山された禅宗の寺である。大徹禅師は峨山禅師五哲の一人で多くの門弟と共に全国十ヶ所の道場を開き、この黒滝 の地がその第一にあげられている。中本山の寺格を有する向川寺は、創建のころ、数々の塔堂伽藍が建ち並ぶ一大寺院であったが、寛永14年(1637)、文化4年(1807)など数度の火災にあい、本堂庫裡、禅堂、客殿などの堂宇や一切経、諸仏を失った。現在に至るまで再建されず無住になっている。

ここには次のような天狗の伝説が伝わる。

ある時、和尚が一生懸命行灯の火を鑚っていると、一人の子どもが出て来て、「この火は石から出るのか、それとも金から出るのか」と聞いた。和尚は「これは面白いことを聞く子どもだ。それでは」というわけで、「俺は母の子どもか、父の子どもか」と聞き返したら、子どもは返答に困り、姿を消してしまった。これは、境内の大杉に住む天狗の仕業だったと云う。

またあるとき、新庄の殿様が舟に乗って寺に参詣しようとしてやって来たら、急に空から「ばらばら」と礫が降って来て、その一つが、御刀番の土肥源八に当たった。源八はものともせず、はったと空を睨んでいると、間もなく礫は鎮まった。礫はここに住む天狗の手まり石だったといい、子どもの頭ほどの大きさの黄色の不思議な石で、いまも向川寺に伝えられている。

松尾芭蕉がこの大石田に滞在していたときにこの向川寺を訪れている。曽良随行日記にある「黒瀧」は黒瀧山向川寺のことで、当日の連句の会で「さみだれを」一巡四句が詠まれた後、芭蕉は、この地の一栄と川水を誘い向川寺に参詣した。