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山形県大石田町大石田甲

震災前取材

 

松尾芭蕉は、元禄2年(1689)旧暦5月28日に、大石田から舟に乗らんとこの地を訪れ、日和を待ち高野一栄宅に3泊した。高野一栄は、河岸近くで船問屋を営み、大石田俳壇の中核に位置した人物で、芭蕉とは尾花沢逗留中に面識を得ていた。

芭蕉は「奥の細道」の中で

最上川のらんと、大石田と云所に日和を待。爰に古き俳諧の種こぼれて、忘れぬ花のむかしをしたひ、芦角(ろかく)一声の心をやはらげ、此道にさぐりあしゝて、新古ふた道にふみまよふといへども、みちしるべする人しなければと、わりなき一巻残しぬ。このたびの風流、爰に至れり。

と記しており、「新古ふた道に踏み迷いさぐり足している」一栄と川水のために、大石田到着翌日連句の会を持った。会は、芭蕉の発句「さみだれをあつめてすゝしもかみ川」ではじまり、一栄がこれに「岸にほたるを繋ぐ舟杭」で脇を付け、曽良、川水が第三、第四と詠み連ねた。そして出来たのが歌仙「さみだれを」といわれる一巻で、芭蕉は自ずから筆を執り、この歌仙を書いた。

6月1日の朝、芭蕉と曾良は、一栄と川水が用意してくれた馬で、渋谷風流が待つ新庄城下へと旅立った。