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山形県尾花沢市市野々

震災前取材

 

山刀伐峠は山形県道28号線にあり、峠の形状が山仕事や狩りの際に被った「なたぎり」に似ていることから名付けられたものと云う。

この峠道は中世から南部と最上を結ぶ要路で、かつては馬の交易や、出羽三山への参詣の道であったという。天正8年(1580)には、最上義光の軍勢がこの峠を越えて、小国領主(最上町)の細川氏を攻めた。江戸時代には新庄領小国郷と尾花沢領を結ぶ間道の一つであった。

現在は「山刀伐トンネル」があり、通年通行可能であるが、江戸期以来の旧街道も残され、歴史街道として整備されている。

松尾芭蕉は、山賊が出るというこの峠を、屈強の地元の者を案内にこの峠を越えたことが記されている。奥の細道には、この峠を越えるときの緊張した様子が次のように記されている。

あるじの云、是より出羽の国に、大山を隔て、道さだかならざれば、道しるべの人を頼みて越べきよしを申。さらばと云て、人を頼侍れば、究竟(くっきょう)の若者、反脇指(そりわきざし)をよこたえ、樫の杖を携て、我々が先に立て行。けふこそ必あやうきめにもあふべき日なれと、辛き思ひをなして後について行。あるじの云にたがはず、高山森々として一鳥声きかず、木の下闇茂りあひて、夜る行がごとし。雲端につちふる心地して、篠の中踏分踏分、水をわたり岩に蹶(つまづい)て、肌につめたき汗を流して、最上の庄に出づ。かの案内せしおのこの云やう、「此みち必不用の事有。恙(つつが)なうをくりまいらせて仕合したり」と、よろこびてわかれぬ。跡に聞てさへ胸とゞろくのみ也。