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山形県尾花沢市毒沢

震災前取材

 

日本三大地蔵の一つに数えられる猿羽根山地蔵尊は、舟形町の南、猿羽根山にある。かつてこの地は羽州街道の要所で、村山地方と最上地方の境界に位置していた 。

むかし、舟形村に大沢靭負という信心深い者がおり、家の中に、地蔵、薬師、観音の三尊を祀って敬っていた。当時、猿羽根峠は天下の難所といわれ、道は険しく、旅人達はおおいに難儀していた。靭負は三尊の力によって、旅人の困難を救おうと考え、峠の中腹に小さな祠をたて、地蔵、薬師の二尊を安置した。旅人はこのお堂に腰をおろし、疲れをいやし再び峠道を登っていった。

ところが、年月が過ぎ、お堂は荒れて破れ、また地蔵、薬師の尊像は木造であったために盗まれてしまい、お堂の中は空となり、山賊の巣窟と化してしまった。そこで、村の人々は、持ち去られないような石の地蔵を安置することとして、石工に頼み大きな石の地蔵を彫って貰った。宝永6年(1709)、完成した新しい地蔵を、近郷近在の善男善女がみな集まり遷座式を行い、もとのお堂に安置した。

舟形村に、長年ソコヒの眼病を患い、失明寸前だった沼沢仁蔵という者がいた。一心に大沢家の薬師様を念じたところ、不思議にも快方に向いやがて全快した。仁蔵は深く薬師如来の功徳を感じ、石工だった長男に命じて、新たに石の薬師如来と石灯篭を寄進し、猿羽根山頂に安置した。

その後、峠中腹の地蔵も頂上に移され、以後、猿羽根の地蔵は日を追って繁昌し、縁結びの神、子育ての地蔵として、近郷の人々の信仰を集めている。祭りの日には参詣人は笹巻をもっていく風習があったと云う。