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山形県鶴岡市羽黒町川代

震災前取材

月山山頂には月山神社があり、冬の厳しい風雪を防ぐために石垣が神社を囲んでいる。月読命(つきよみのみこと)を祀り、7月1日の開山から9月15日の閉山まで神官が常駐する。

松尾芭蕉は羽黒山の南谷に3泊した後、白装束にあらため白木綿の布で頭を巻き、手に金剛杖という道者の身支度で、6月6日(陽暦7月23日)月山に向かった。現在、かつての登山道は月山高原ラインとして整備され、八合目までは車で登ることができる。所々にかつての道が残り、昔は、夏の間は一合目ごとに掛茶屋が設けられていたという。芭蕉は六合目までは馬に乗り、その先は徒歩で登った。六合目からは急な登り坂になり、七合目からはさらに急になる。

八合目の標高は1440mで、ここからの眺めはすばらしく、晴れていれば北に鳥海山、南には朝日連峰、眼下には羽黒山を望むことが出来る。またこの八合目付近はゆるやかな高原状の斜面で、弥陀ヶ原という湿原になっており池塘が点在する。芭蕉らはこの八合目で昼食をとり、この先は残雪も残る岩場を頂上へ向かった。頂上には日没頃に着いたようだ。「奥の細道」には次のように記されている。

八日、月山にのぼる。木綿しめ身に引かけ、宝冠に頭を包、強力(ごうりき)と云ものに道びかれて、雲霧山気の中に、氷雪を踏てのぼる事八里、更に日月行道 雲関に入かとあやしまれ、息絶 身こごえて頂上に臻(いた)れば、日没て月顕る。笹を鋪、篠を枕として、臥て明るを待。日出(いで)て雲消れば、湯殿に下る。