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山形県尾花沢市銀山新畑

震災前取材

 

銀山温泉は、かつて江戸時代初期の大銀山として栄えた「延沢銀山」の名称に由来している。

康正2年(1456)、この地に銀山が発見され、採鉱が始まった。文禄、慶長年間頃(1596~1614)に温泉が発見され、その利用が始まった。銀山は、鉱脈の枯渇や新鉱脈の発見などで浮沈を繰り返しながら進められ、寛永年間(1624~43)、寛文年間(1661~72)に最盛期となった。

しかし元禄年間(1688~1703)になると鉱脈は枯渇しはじめ、かつ鉱山の大崩潰が起り全山廃山となりこの地は衰退した。しかし寛保年間(1741~43)より次第に湯端宿屋が建ち始め、湯治場として盛んになっていった。

銀山温泉は羽州街道より約12km入った山間部にあり、当時は細い悪路で、尾花沢からは難路1日もかかっていた。延沢銀山の衰退後、人口は激減していたが、世間とは遮断された仙境の地で、この里の人々は、湯治客相手の湯端宿屋や小商いを行って生活していた。

大正時代には、かやぶき屋根の木造平屋や二階建ての旅館が並ぶ湯治場も出来ていたが、大正2年(1913)銀山川の大洪水で、ほとんどの温泉宿が流されてしまった。温泉の湧出量も少なくなり、川水が進入し温度も低くなり、温泉は低迷した。しかし大正10年(1921)に銀山川の水を利用した発電所が作られ、その後の復興の足掛かりとなった。

昭和元年(1926)に、源泉のボーリングが行われ、高温で多量の湯が湧出し、温泉には活気が戻り、各旅館は一斉に洋風の3~4層木造構造に建て替えを行った。橋や沿道の整備も行われ、尾花沢より車で30分で来られるようになった。

昭和60年(1985)には延沢銀山遺跡が国の史跡に指定され、翌昭和61年には「銀山温泉家並保存条例」が制定され、風情ある旅館を保存し観光復興に生かすことになり、現在、昭和初期の雰囲気を強く残した独特の町並みを残す温泉街になっている。