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山形県庄内町狩川字砂田割

震災前取材

 

立川町は、昔から最上川上流から吹きつける強烈な風と格闘を続けてきた。初夏から秋にかけて、4日に一度は風速10mを超える強風が吹き、春は早苗を押し流し、秋には稲穂をなぎ倒した。

奥羽山脈を越えてくる南東の風は、新庄盆地に吹きおろし、最上川に沿って最上峡を抜け、狭い峡谷で集約された風は、峡谷を抜けた地点の清川で一気に庄内平野に吹きだす。この風は「清川だし」と呼ばれ、清川、立川は、この清川だしの通り道にあたる。

清川だしは春から秋にかけて吹くが、冬は逆に北西の季節風が強く「地吹雪」も発生する。過去10年間の平均風速はアメダスデータで4.1m/s、10m以上の風も年間平均88.5日と多く、全国的にもまれな強風地帯となっている。

庄内町は、この風を町おこしに利用しようと、昭和55年(1980)から小型風車による農業への利用を目的とした風エネルギー実用化実験事業や、科学技術庁が実施した風力発電の実験事業の受け入れなどに取り組んできた。

平成5年(1993)からは本格的な風力発電を始め、100kw×3基、平成8年(1996)400kw×2基、平成11年(1999)600kw×2基、平成12年(2000)600kw×2基、平成14年(2002)と15年(2003)には1500kwが1基ずつ建設され、現在町内には11基の風車が稼動し、町内で消費される約57%の電力に匹敵する発電を行っている。これを石油削減量に換算すると、316万リットルに相当するという。