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宮城県大崎市岩出山字下金沢

震災前取材

仙台藩岩出山の初代領主伊達宗泰(むねやす)は、慶長7年(1602)、京都伏見の伊達邸で、第四子として生まれた。寛永15年(1638)、伊達郡梁川5万石の大名取立ての内命をうけて江戸に上る途中疱瘡にかかり急逝した。遺骸はこの地に埋葬し霊廟を建立した。その後、この地は歴代の領主の墓域となった。

明治8年(1875)まで、初代宗泰と二代宗敏の桃山式方形造りの廟があったが、大火により消失した。

 

・松窓寺

伊達家家臣の山岡志摩重長の祖母の松窓院が、伊具郡金津村に開基した寺で、重長が岩出山に移したと伝えられる。

山岡氏は伊達氏世臣の家柄で、重長は奉行に累進し、3000石を領した。慶長8年(1603)、伊達宗泰が岩出山初代城主に封ぜられたとき、城代としてこれを補佐した。

重長は、文禄の役の折に抜群の戦功をあげて、豊臣秀吉から山岡志摩の名を許された。また、大阪夏の陣においては、その功により徳川家康から陣羽織を拝領した。藩政時代には、岩出山伊達氏歴代の霊廟を守る役を命じられた。