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宮城県大崎市古川荒谷字斗瑩

震災前取材

文治3年(1187)、源義経は頼朝の勘気を受け奥州平泉へ下向の際、北陸路を通り鳴子を経て荒谷の斗瑩山に着いた。 吉野の山によく似た斗瑩山に立ち寄り、静御前遺愛の鼓の調べに聞き入っていた時、どこからともなく白狐が現れ、「鼓は自分の亡き母の皮でつくったもの。ぜひ返して頂きたい。そうしてくだされば、義経公の守護に当たり、難を救ってあげます。」と、涙ながらに申し出た。

そうしているうちに白狐は斗瑩山の岩穴に入り込んだので、義経は弁慶に命じ祭壇を築かせ鼓を捧げ、一向の武運長久を祈願致した。 この白狐こそが佐藤左衛門尉四郎忠信に姿を変じ、義経東下りの先達を務めた狐忠信だった。ここで云う静御前の鼓こそが世に云う「初音の鼓」だという。

村人はこれを伝え聞き、一宇を建立して「左衛門四郎稲荷大明神」と崇敬した。その後、応永30年(1423)、大崎左京大夫持栓が社殿を造営し小野城の守護とした。

永正13年(1516)野火により焼失したが、永禄5年(1562)再建された。境内には、幕末の剣聖、千葉周作の屋敷跡がある。