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宮城県大崎市古川荒谷…斗瑩稲荷境内

震災前取材

幕末の剣聖、千葉周作の出生地は、現在の陸前高田市とも大崎市ともいわれている。五歳頃、父の幸右衛門に連れられてこの斗瑩稲荷下に屋敷を構え、十年ほどを過ごした。

少年時代の逸話として、小川渕の大木の下にカメ蜂の巣があり、それを木刀一本で退治した話や、泥棒を捕らえた話、あるいはこの地の邑主の石母田邸での道場破りなどが伝えられている。

当時、この地には北辰夢想流を創始した相馬藩の剣の達人の千葉吉之丞が故あってこの地に移り住んでいた。周作父子はこの地で吉之丞に師事し剣法を学んだ。

周作はめきめきとその頭角をあらわし、後に上京し中西派一刀流を学び、ついには北辰一刀流をあみだした。

武蔵、上野などを周って他流試合を行い名を挙げ、門弟数も増えた。そこで江戸に帰り、文政5年(1822)、日本橋に玄武館という道場を建て、後に神田お玉ヶ池に移転し、多数の門人を抱え、江戸に剣術の一流を興した。

その門下からは、清河八郎、山岡鉄舟、新撰組幹部の山南敬助など幕末の重要な人物を多数排出した。坂本竜馬は、周作の弟の定吉に師事し北辰一刀流を学んだ。