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宮城県大崎市古川三日町

震災前取材

古川市の中心部にある緒絶橋(おだえはし)は、悲恋を表す枕詞として使われている。

みちのくの をだえの橋や是ならん ふみみふまずみ こころまどはす (後拾遺和歌集)

白玉の をだえの橋の名もつらし くだけて落つる 袖の涙に (藤原定家)

奥の細道の松尾芭蕉も、この地を訪ねようとしたが、道を誤り石巻に抜けてしまったと言う。

 

この地には、次のような伝承がある

平安の昔、嵯峨天皇の皇子の恋人白玉姫は、皇子を探し当てられず悲嘆の余り川に身を投げた。玉の緒(生命)が絶えたところから緒絶川、緒絶橋と呼ぶようになった。

嵯峨天皇の御代、おだえ姫が皇后の妬みにあい、陸奥の古川に追いやられた。帝はおだえ姫との別れを惜しみ、勅使を向けることを約すが、その後何年経っても帝の使いはなかった。おだえ姫は固かった契りも今は叶わぬものと想いながらも、毎日緒絶川の畔に出ては、嵯峨天皇の使いを待ち続けながら、この地古川で生涯を終えたという。