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宮城県大崎市岩出山字大学町…祥光寺

震災前取材

祥光院は、伊達政宗の側室で四男宗泰の母である。宗泰は後に岩出山伊達氏の初代となり、祥光院の墓はこの岩出山の祥光寺にある。

祥光院は、大阪夏の陣の豪傑塙団右衛門の娘と伝えられるが、詳細は定かではない。関ヶ原の戦いの前後に政宗のもとに上がったと思われるが、その当時は塙団右衛門は加藤嘉明の家臣として1千石の足軽大将として遇されていた。その後浪人し、大阪の陣では大阪城に入り、「夜討の大将」と名を馳せた。

 

・伊達虎之助の墓

伊達虎之助は、伊達政宗の十男、伊達兵部宗勝の次男で、伊達政宗の孫に当たる。父の伊達宗勝は、一関初代藩主だったが、寛文事件(伊達騒動)で、幕府の大老の酒井忠清とくみ、幼少の伊達綱村を毒殺し、仙台藩の実権を握ろうとしたというが定かではない。

宗勝は騒動の首謀者として、土佐国に流罪とされ、嫡男の伊達宗興も小倉に流罪となった。次男の伊達虎之助は罪にとわれなかったが、十八歳の若さで没した。