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宮城県大崎市松山次橋字和賀山

震災前取材

和賀忠親の死後、伊達政宗は和賀の遺児を探し、正法寺(水沢市)に預けられていた和賀義弘を見つけ出し、慶長7年(1602)、松山邑和賀山に千石を与えた。松山石雲寺には現在もその子孫の墓がある。

松山町には和賀氏の氏神を祀った白鳥社の祠があり、今でも和賀の家臣の流れを汲む方が守っている。