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宮城県大崎市古川宮沢字愛宕山
震災前取材
現在の化女沼の西側に、東北道に分断されているが、8世紀から10世紀頃、広大な官衙が置かれていた。東西約1400m、南北約800mと大規模なもので、多賀城の1.5倍ほど、出羽の国府の秋田城の4倍ほどもあり、現在知られている東北の官衙では最大の規模である。
調査の結果、掘立柱建物跡や、竪穴式住居跡、築地跡や土塁、堀跡などが発見されている。
宮城県の歴史散策街歩き
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震災前取材
現在の化女沼の西側に、東北道に分断されているが、8世紀から10世紀頃、広大な官衙が置かれていた。東西約1400m、南北約800mと大規模なもので、多賀城の1.5倍ほど、出羽の国府の秋田城の4倍ほどもあり、現在知られている東北の官衙では最大の規模である。
調査の結果、掘立柱建物跡や、竪穴式住居跡、築地跡や土塁、堀跡などが発見されている。