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宮城県大崎市鳴子温泉鬼首

震災前取材

坂上田村麻呂が蝦夷征伐をおこなったとき、蝦夷の長の大竹丸が、今の宮城県涌谷町の箆岳(ののだけ)に篭り頑強に抵抗した。しかし多勢に無勢、捕らえられて首を切られた。その首は、遠く離れたこの鬼首地方に飛び来たり、岩に噛み付き無念の声をあげたという。その岩は、鬼首寒風沢(さむさわ)の東方の追分の地にあった切り立った岩で、附近は古くから藤の花の名勝として知られていたが、今は荒雄湖の水中に没している。

また、大竹丸はこの地で首を切られたとする説もあるが、いずれにしてもこれらの伝承からこの地は鬼切部と呼ばれその後鬼首と呼ばれるようになった。

玉造柵から鬼首を経て雄勝郡に至る羽後街道は、多賀国府から秋田出羽柵までの最短距離で、重要な軍用道路であった。そのためかこの地には、坂上田村麻呂の蝦夷征伐の伝説と、前九年の役の戦いの伝承が多く残っている。

鬼首はまた、アイヌ語の、大きな神の意のオンネカムイから来たとする説もある。