宮城県仙台市若林区霞目二丁目

 

元禄16年(1703)、この地域の里人らによって創建された稲荷神社である。もとは、この近くの高さ2mほどの小丘にあった。

この地方は、古くから幾度となく津波、洪水に襲われている。貞観11年(869)5月には貞観三陸地方大地震大津波の記録がある。慶長16年(1611)の慶長三陸大津波では、仙台領内で1700人余の死者を出した。天保6年(1835)6月の東北地方太平洋東部の大地震大津波では、仙台領内で数百の民家が流失し、溺死者多数と伝えられている。

このとき、津波は幾波となく押し寄せ、多くの溺死者を出した。やがて白馬にまたがった海神が現れて、この大波を南北に二分して鎮めたという。これ以来、津波鎮撫の霊力信仰が高まり、浪分大明神と呼ばれるようになった。この大津波は、小祠が創建されて以来、この地を襲った最大のものだった。この年にはさらに二回も大洪水があり、天保10年(1839)まで、全国的に荒天が続き冷害となり、天保の大飢饉となった。

村人たちは除災を祈願し、天保7年(1836)この地に一堂を創建し、付近の庚神、疱神、山神とともに移した。爾来、津波の災害は減少したと云う。

平成23年(2011)3月の東日本大震災による大津波は、沿岸部に甚大な被害をもたらした。津波はこの地の1kmほどのところまで押し寄せたが、この地には到らなかった。

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