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宮城県大崎市三本木(道の駅三本木)

震災前取材

かつて、大崎市三本木町では亜炭の採掘が行われていた。現在、道の駅三本木に「三本 木亜炭記念館」が置かれ、重さ10tの亜炭層と当時の資料が展示されている。

この地の亜炭の発見は、江戸時代中期に遡り、灌漑用の荒川堰堀水路工事で亜炭層に堀当たったのが最初とされる。しかし、当時は亜炭が燃えることは知られておらず、燃えることが発見されたのは、それから200年後の安政5年(1859)のことで、赤坂某が木炭を焼いていたときに、亜炭層に火が燃え移ったことから知られるようになった。

明治15年(1882)頃から、燃料として需要が大きくなり、早坂長太郎兄弟が採掘して売り始めた。この地の亜炭は、優勢な炭層と炭質で「三本木亜炭」として広まった。

しかし、強酸性の坑内排水が水田に流入し、赤水鉱害を引き起こし、戦中戦後の需要の拡大とともに鉱害の対策が追いつかず、また時代が石炭亜炭の時代から石油、ガスの時代へと移ったため廃坑となった。